インドネシアには、古来よりJamu(ジャムゥ)という伝統的植物生薬があります。
このジャムゥはパサール(市場)などの片隅にあるジャムゥ売りはもちろんですが、
一般家庭にも普通にあり、古くからインドネシアの人々の美容と健康維持に利用されてきました。
ジャムゥの起源は古く、紀元前1200年前にさかのぼります。
ヒンドゥー教や仏教と共に、アーユルヴェーダ医学もインドネシアに伝わってきました。
アーユルヴェーダのハーブの調合を元に、インドネシアに群生する多数の熱帯植物を利用して、
インドネシア独自の調合へと発展し、現代のジャムゥとして受け継がれてきました。
ジャワ島の中部地域ジャカルタ、セマラン、ソロがその発祥地とされますが、
インドネシアの世界遺産ボロブドゥール遺跡の壁面にはピピサン(石の台)と
ガンディッ(石のすりこぎ)を使い、女性がジャムゥを調合している姿が彫刻されています。
また、このジャムゥの起源がアーユルヴェーダであるということもこの彫刻に描かれています。
当時の王家では健康と美容のために好んでジャムゥを飲んだと言われています。
ジャムゥが民間に伝わったのは8世紀中頃、ソロの王様がジャワ中部の村長に与えたのが始まりです。
驚くことにこの病気に対する処方やその配合のすべてが世襲制により、
母から選ばれた一人の娘へと代々口承によって受け継がれてきました。
15、16世紀になると、イスラム文化とオランダ統治という変革期に、
世襲制で伝えられてきたこのジャムゥの処方が消え去ることに危機感を持った聖人が、
その伝承を盛んに記録として残しました。
母から選ばれた一人の娘にしか伝えないという世襲制の中で、この記録を残すことの困難さも記録されています。
それらの記録は、インドネシアのバリ島のロンタル博物館(文書図書館)に保存されています。
その後、王族が1618年以降に整理、編集し
「Surat Primbon Djampi Djawi(スラ・プリムボン・ジャムピ・ジャウィ)」という処方薬にまとめています。
ジャムゥの種類も様々ですが、女性が生涯を通じ、年齢にしたがって起こる身体の変化や、
また体調に合わせたジャムゥの処方がたくさんあります。
女性専科のジャムゥが一貫しているのは「消化・吸収・排泄」この生命維持の大原則です。
古来より今日までインドネシアの女性の身体を大切に育み
美容や健康維持・増進に利用されてきました。
現在では製薬会社が製造する薬も含めJamuと称するようになりました。
また日本でのJamuの認識は非常に低く、偏った種類のJamuが出回っています。
自然志向に意識が高まる昨今、本来のJamuの持つ意味が再認識されることでしょう。